彼と始めて出会ったのは、ミネラルタウンでたったひとつしかない図書館でした。
都会から、憧れだけを抱えてこの町に訪れた私は、荒れ果てた牧場を蘇らせるなんていう知識は、
かけらひとつもありませんでした。
クワはどう持てばいいのか、どう振り下ろせばいいのか。畑はどのように耕すのか。
どの季節になんの種を、どのように植えて、そしてどう育てればいいのか。何一つ分かりませんでした。
だから、私は最近親しくなった図書館に勤めているマリーに手伝ってもらいながら、半場引っ掻き回すかのように、
牧場について書かれた図書館の蔵書を調べ上げていたのです。
私がやっと春に植える作物の種類を覚えたころに、私は彼と出会いました。
彼は、ただでさえ狭い図書館の二階で、誰にも気づかれないような片隅に座っていました。
使いすぎて飴色になり、角の方などぽろぽろと木屑が欠けているような古びた図書館の机の上で、
彼は聖書を読んでいました。
びっしりと文字が刻まれている聖書を、ちらりと見ましたが、私はとても読む気など起こりませんでした。
けれども彼は、そこに綴られている文字を一文字、一文字ゆっくりと読んでいるようでした。
まるで、噛み締めるように。いえ、頭に焼き付けるかのように、といったほうがよいかもしれません。
ただ、私はそんな彼の姿に一瞬だけ目を奪われました。
でも一瞬です。
その後すぐに、私はこの春を生活するために育てる作物の一つ一つ、
多様にある育て方をメモする作業に没頭しました。
次の日も私は、図書館に通い、そしてまた、聖書を読んでいる彼を見かけました。
私はあいさつをしようと思ったのですが、図書館の中で、知り合いでもないのに声をかけることをはばかって、
あいさつをすることができませんでした。
彼が、真剣な瞳で聖書に目を通していたからかもしれません。
その瞳が私を見たとき、私はきっと、彼の読書を邪魔したことをひどく悔いるような気がしたのです。
だから私は、口を固く結んで、彼が座っている机の場所から一番遠いところに座り、
彼と同じように、飴色に変色した、角っこがぼろぼろの古びた机の上に牧場の経営に関わる蔵書を広げて、
メモを取ることに専念していました。
彼と始めてしゃべったのは、図書館ではなく、雑貨屋からの帰り道でした。
ある程度、春に育てる作物のことへの知識を増やした私は、始めて牧場に植える種を買いました。
イチゴは、今から植えるには時期が遅すぎだし、キュウリはまだ早いので、カブの種とジャガイモの種を三つずつ買いました。
それから、パンと小麦粉、お米など当面の食料を買い足して、リュックに詰め込み、私は雑貨屋を出ました。
六つの種はもうリュックに入れる隙間もなかったので、私はそれらを手でしっかりと持って、牧場への道を辿りました。
町長の家の手前で、私はばったり彼に出会いました。
図書館以外で彼と出会うのは初めてでした。この町に来てからもう三日も経っていて、私は町のすべての建物を回ったのですが、
彼には図書館でしか会っていませんでした。
「こんにちは」
心なしか、声が小さくなりました。まるで、図書館の中でしゃべっているように。
「あ・・・。こん、にちは。」
彼の声を聞くのも初めてでした。呟くように、ぽつりと発せられた声は、私の耳にゆっくりと響きました。
「私、つい最近牧場に引っ越してきました。クレアっていいます。」
彼の瞳がこちらを向きました。深い色をした瞳でした。
その瞳を見ていると、私はすこし緊張しました。初めてみる瞳の色だったからかもしれません。
「牧場に?」
「ええ」
「ぼくは、クリフ。よろしく。」
「よろしく。」
「・・・種を植えるの?」
彼は、私の手元に目を向けていいました。
私は、彼の瞳が視線から外れて、いくらかほっとしました。
「ええ、さっき買ってきたの。」
「これから、植えるのかい?」
「ええ、そのつもり。」
「頑張って、ね。」
「ありがとう」
そして、彼と別れました。
彼との初めての会話は、こんなにもそっけないものでした。
牧場に帰って、石やら枝木やら雑草やら、よくもまあこんなにも荒れたものだと思う畑を見て、
私は頭を抱えたくなるのをなんとか堪え、種を植えるのは明日にしようと決めました。
家に入り、当分食料を作り出すことが出来ないであろう畑を窓越しに見ながら、私は薄いスープを作りました。
これに、色とりどりの野菜が入るようになる頃には、私は立派な牧場主になれているでしょうか。
味気ないスープを飲み終えた頃には、私は彼との会話の大半を忘れていて、
思い出せるのは、あの深い色をしたまなざしだけでした。
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